風のマフラー

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今日はフォトクラブ風写の日。
先生からのテーマは枯れることと露出。
うーん、ああいうのも撮れてこそ写真なんだろうけど、、
なんか、気持ちが盛り上がらないなー。
廃墟とか、汚染された土地とか、ゴミだとかの写真と同じで、そこにメッセージがあるいい写真であっても、それは僕が撮らなくてもいいかなって思っちゃう。
依頼があれば別だけど、自分の作品としてなんか違う気がしちゃうんだ。

こういう事って、その作品の良し悪しは別として、いやいややるもんじゃないよね。
感性に訴えるものって、自分が感動しないと、本当に、いいものにならない気がする。
先生の写真やみんなの写真を見ると、なるほどナーとは、思うんだけど、、、

撮影者の想いやメッセージって、大切だとは思う。
でも、その伝える事がメインになりすぎちゃって、見る側としては、見る写真じゃなくて、観察する写真になってしまってる気がするんだけど。
そういった写真は確かにすごいと思う。でも、僕はもっと単純に見られる写真が好きだなー。。
だから、成長しないのかな。。

今日の写真はその中で僕が撮ったもの。
風に吹かれて、ひねくれたまま枯れていった葉っぱが、まるでマフラーのように新芽を引き立ててた。



そうそう、先生から説明があった露出について、一つ補足しておくと。
自動露出って、全てのカメラで違うものであり、また、同じものでもある。
これはね、今のカメラはフレーム全体の露出をカメラの機種ごとに考えて数値を出しているからなんだ。
(マルチ側光)
だから、同じカメラとレンズでも、構えた人のフレーミングによって露出が変わってしまうし、最近流行の顔認識なんか、完全に顔の露出に合わせてるもんね。。

そして、なぜ全て同じかというと、
マルチ側光から、スポット測光に切り替えて同じ所を測れば、みんな同じ数値のはずです。(レンズでわずかに変わるけど)
露出だって精度基準があるもん、そこを無視しちゃ露出計の意味がない。

よく撮影会なんかで、ここはプラス補正だとか、露出をこうした方がいいとか言うけど、そんなのどういう感じでどうフレーミングするかで全然違うんだから、全くの無意味。
分からなけりゃ10段階でも、20段階でも段階露出して自分で覚えなきゃダメだね。
それに今はデジタルだからいいよ、リバーサルフィルムなんて、フィルムの銘柄やレンズで与える露出が変わってくる。
僕のように、ハッセルやコンタックスを併用する人間は、今、このレンズとこのフィルムなら露出はこうして、こう撮ろうって考えるんだ。
同じツアイスレンズでも、ハッセルとコンタックスでは、映し出される絵が全く違うんだよね。
僕が毎月フィルム30本使ってたのは、決して無駄ではなかったと思う。
ただ、今のようなデジタルならもっと楽に出来たナーとは思う。

僕だって、努力してるのよ。。