一周忌の料理をよばれつつ、、というか、、小鉢で出される料理では、飲めない僕にとって、間がもたないんで、
カメラを持って、庭に出る。
僕の座ったすぐ後ろが庭だったんで、気になっててさ、、、
ちょうど、下駄が三足並べてあったんで、遠慮なくお庭を散策。
なんかさ、、、一周忌とかって、、ただ飲むための口実作ってるだけのような気がしてならないんだけど、、、
故人を偲ぶ御祭りという意味では、いいのかななんて思ったり、、、
ゆっくり散歩してる方が、僕には叔父さんのことを考えることが出来るなーなんて、、、
といっても、、田んぼでイナゴ取りしたことしか覚えてないんだけどね。
それでも、カメラを持って、散歩するだけで、、、いろいろ考えることも、、
こんな季節に亡くなったんだなー
最期に、栗食べれたんだろうか?
冬を前にして、遣り残したことはなかったんだろうか?
思い残すことはなかったんだろうか?
前にも書いたけど、、、
僕は、、なにか遣り残す、、、いや、違うな、、、
いつも、なにか、やり続けていられる人生でありたい。
世間では、思い残すことがなければ、いい人生だったみたいな言い方するけどさ、、
思い残すことがなければ、もう生きてる意味ないじゃん。
たとえ、夢半ばで燃え尽きようとも、
なにか遣り残したものがあれば、その人が生きるべき人であったと思えるんじゃないだろうか。
亡くなった後に、誰も必要としていない事ほど、悲しいものはないと、、、ふと、そんなことを想いました。。