昨日の続き、、
8時になって、看護師さんが二人来た、、
この時に死亡届と死亡診断書をもらったかな、、
でも、、やることが多くて、そそくさとバックにしまって、搬送用のベッドに移すのを手伝う、、
そのまま、葬儀場まで運ぶので、病院でのお会計は後日でいいと、、
すぐ隣の出口から出て、そのまま車に乗り込む、、
僕が車を停めたとこまで行って、僕は自分の車に乗り換え、道案内、、
というのも、、最後に、自宅の前を通って、葬儀屋へ行くという、、
家の前に車を停めて、顔を玄関の方へ向け、一声かける、、
帰ってきたぞ、、
ほんの一、二分だけど、、この一言かけれることで、心残りがずっと減る、、
そして葬儀屋さんへ、、
移動ベッドのまま三階へ、、
奥へと進み、部屋の入り口でとまる
え、、、後は、手で運ぶと、、、
それならと、僕もお手伝い、、
部屋のつくりからすると、クエスチョンマークのように運んでいくことになるのだが、、葬儀用なのにこの辺はちょっと、、
一息つくと、、さっそく葬儀の見積もりに入る、、
いやいやいや、、朝亡くなって、、昼にもう葬儀の話をするって、、、きつい、、
祭壇を決め、花飾りを決め、その他もろもろのオプションを決めると、香典返しや引き出物、、お寺さんへの2日分のお菓子や、通夜振る舞いなどの料理も二日分、、
まだ、、親戚への連絡もできてないのに、、
次々にいろいろなことを即決していく、、
迷いたいけど、明日の話だから、待っていられない、、
ひとしきり決定したら、、それこそ嵐のような親族への連絡が、、、
母方は岐阜県でも、高山近辺だからまだいいとして、、
父方はまだまだ雪深い山奥、、
先ほど料理や宿泊が必要か聞いておいてといわれたが、、、
亡くなったことを伝えるだけで精一杯、、
平日の昼間で半分も連絡がつかない、、
留守電に残したり、付き合いが少ない親族への連絡を頼んだり、、
夜の10時ごろまで電話しっぱなし、、
でね、、
ひとつになっていたことが、、
用意周到な親父、、自分の墓も樹木葬として豊田のお寺に買っていたり、
死期が近いのを感じていたのか、いろいろと準備もしていたから、、
戒名も用意しているのではないかと、、
というのも、、
親父が高山の菩提寺へ戒名と取りに行ったようなことを聞いたことがあるのと、、
豊田のお寺へ、親の戒名を見せて、住職さんがこの位で付けると、100万以上かかりますというようなことを聞いた記憶があるの、、
で、、豊田のお寺で電話で確認したら、戒名を付けた記録はないとのことで、、
それならと、、家の中をひっかきまわして、探したのだが、、、
見つからないの、、
うーーーん、、
そして夜、、昔、一緒に住んでいた親戚が今は名古屋の方に住んでいて、昼間僕の留守電で親父がなくなったことを知り、会いたいと、、、
たしか24時間だから大丈夫ですよと返しておきながら、、
ちょいと聞いてみたら、、中で泊まれば24時間出ることはできるけど、入るのは夜の10時までだって、、
急いで、電話で折り返すと、9時にはたどり着けると、、
で、、死んだときのまま横になった状態だったけど、見てもらい、
その戒名のことで菩提寺を知らないか聞いてみたら、知っていたの、、
明日そのお寺へ、電話してみることにして、この日は僕も休ませてもらうことに、、
なんせね、、この日、病院から帰って3時間足らずで、亡くなったんで、ほとんど寝てなかったの、、
悲しみに浸ることなく、眠りにつく、、
翌日、、
朝、まだ早い時間に豊田の住職さんから電話があった、、
昨日、話したのは副住職さんだったので、わからなかったのだけど、本住職さんは覚えていました、、
両親の戒名を菩提寺でとってきて、それを参考に、こちらで生前戒名を付けてもらうときに、同じ位だと、100万以上かかるからと、決められずに保留していたそうで、、
で、、付けてもらうことになったのだけど、、
死期を悟っていたのか、つい一か月前に寄付をしていたり、
今までで、例を見ないくらい用意周到で、住職さんがよく覚えてくれていました
禅鑑茂道居士
位こそ一般の居士だけど、、
付けられた名前は、立派な、、とても尊敬できる名前を付けていただきました、、
昨日の話では、仮で、名前を付けるということで、どんな人だったか簡単に聞いてつけましょうということだったのに、わざわざ当日の朝に電話をいただき、親父の人となりを知ったうえで、付けてもらったこの名前は、説明を聞いた時には、涙ぐむほど良い名前でした、、
親父、、、満足したかな、、