努力と才能、そして、、逃げるといわれようと

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さて、、、夕暮れ撮影タイム(昨日の写真ね)が終わり、まってました晩飯晩飯。

お刺身に、煮付けに、フライ、、どれも美味しい。。
そしてそして、、、出ましたーーーーーーたこのまるゆで!!!

おーーい、まって、まって、ぶつ切りにしようとしたところを止めて、足一本根っこで切って貰った。

やっぱ、豪快にかぶりつきたいっ。。

こりこりむにむに。先端って、吸盤がコリコリしてる。

根っこの方は、むにゅむにゅむにゅむにゅ。。

あっという間に平らげた。

そして、、足だけ切り取られて、まるでUFOになった、たこの頭をこれまたザックリと切ってもらい、、、がぶっ!

!!!!!!

!!!!!!

!!!!!!

か、かみきれない。。。

するめみたいに端っこに歯で切れ目を入れて、食いちぎる。

これって、、、、、言葉でいうなら、生するめ

乾燥してないけど、噛み応えあって、しかもするめみたいに味がある。ま、そりゃあタコだもん、味あるわな。

でね、、裏と表で微妙に違う食感と味。

僕さ、お酒飲めないから、こういうのあると、間がもっていいな。。とかいいつつ、、ずっとみんなで話し続けてたような。。。

続きを部屋に持ち越して、、、、ととと、、、しっかりタコのぶつ切りを、、、

でね、、最初はゴジラパパさんのやりきれない公務員の実情を、、、、

で、いつしか、やっぱり写真のことに、、、



で、、、なんて書くといいのだろうか、僕が言ったこのこと。

才能ない人の100個は、才能ある一つに遠く及ばないと、、

みんなから、反論あったけどね。。。

でも、やっぱり僕の意見は変わらない。

ある程度のことは、もちろん努力でもなんとかなる。
その100個が無駄とは言わない、でも、何年頑張ってもかなわないのは変わらない。


僕の仕事で例をあげるんだけど、

加工場とか、ラインの組み付け作業っていうのは、だれでも努力すれば何とかなる。

でもね、、僕らの鍛造みたいに、一番出来る人間でさえ100パーセントをはるかに超える作業を要求されてると、その才能の違いに愕然とする。
僕らの作業、色んな要素があるんだけけど、、、
その中でフォークリフトがある。
みんなで使いまわしなんだけど、
以前、効率が悪いからと、フォークリフトの大ベテランに一括して、やってもらうことに。

でね、、どうなったか、、、、、全ての機械が止まりました。

遅い、のろい、下手。

新人ならまだしも、フォークリフト専門の何十年のベテランが、全く役に立たない。
他のベテランに変わってもらえど、結局同じ。

何十年フォークリフト専門でやってようが、いつも時間に追われ、あっちこっちでぶつけながら乗ってる人間に全くかなわない。
鍛造にも下手糞なやついるけど、、そいつよりも使いもんにならない。


単純に車の運転にたとえた方が判りやすいのかな。

一般道を走る分にはだれでも、少しの努力で走れるようになる。

でも、全開バリバリのサーキットだったらどうだろう。
そして、点検、整備、修理、調整全て独りでやるとなると、、、

だれでも努力すれば速く走れる?

タクシーやバスやトラックの運転手、何十年も車の運転している人は?

だれでも、努力すればシューマッハになれる?
努力すれば、高橋尚子みたいに走れる?

ひとは、すぐ努力。努力という。

たしかに、無駄ではない、、、、と、思う。

でも、自分の才能を見つけて、それを磨く努力をすべきなんじゃないの?

自分にない才能をいくら磨いたって、、、、石ころは石ころ。

自分の原石を見つけて、それを磨かないと。

そして、その原石はみんな色も違えば、形も違う。


ここからが僕が一番言いたいとこ。

なんでも、まず磨く努力は大事。
そうしないと、自分の才能なんてわかんない。
まずは努力してみて、原石があるかどうかを、そしてそれが、どんな形や色なのかを見極める。

それが、自分の求めるものであるならば、どんどん磨く努力をすればいい。
気に入らないなら、他のを探すなり、違う色や形を探せばいい。

世の中のすごい人っていうのは、自分が求める原石を見つけて、磨き上げた人なんだと、僕は思う。


詫間先生は、すばらしい人だと、皆が言う。

でもね、、僕にはあわないのよ。

それがすばらしいと、世間が認めても、僕の進むべき道とは違う。

この2年間、休んだのは1回だけ、風邪でみんなんにうつさないようにと1回だけ休んだ。

決して努力しなかったんじゃない、講座が終わって、夜勤で会社に行ったこともあったし、そも、半分は夜勤明けで、睡眠すらままならない状態だった。
これだけ頑張っての、僕の結論なんだよ。

僕のように、現場でへろへろになりながら、仕事している人間にとって、宅間先生のような写真はパズルにしか見えない。

見る人にも読み取るだけの眼力がいる?
その写真に何の意味がある?

写真って、そんなに偉いの?

講座の中であるものを見せてもらうときに偶然見せられた一枚の写真。

高速道路の高架下の公園の写真

何がいいんだかさっぱり判らんかった。。
で、先生は言う。
高速道路の高架で日の当たらないところになんで公園なんか作るんだ!と、、、、、

で、、、、それで?と、。僕は思った。。

僕が思うには、それなら、写真でなく、俳句とかにすればいい。
写真である必要なんてないとさえ思う。

なんていうのかな、、、写真って、もっとこう、、、んんんん言葉が見つからない。。。


ま、僕にとっては、一つの才能の磨き方であればいい。

それが全てではないし、受け入れるところは受け入れればいい。

会社でもそうなんだけど、無理して頑張っても、才能ない人は苦しいだけ。
10年がんばっても、芽が出ない人は芽が出ない。
無理して磨いたって、その原石は傷だらけだよ。

それなら、逃げてると言われようが、変えるべき。

そも、写真の才能なんていうものは存在しない、色んな要素があるうえで、自分のあった写真を目指せばいい。

勢いで、長々と書きましたが、、、、

そんな詫間先生でも、教わるか教わらないかといえば、絶対教わった方がいい。

その、磨き方は、きっと役に立つ。
もてる才能をみつけ、磨き方の一つとして学ぶには、数少ない人だから。

崇め奉るかどうかは、後々の個々の判断でいい。


自分を信じることが出来れば、道は険しくとも、迷うことはない。